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企業訪問

割烹料亭 田中家

金刀比羅神社近く、板塀に囲まれた和づくりの割烹料亭

2016/09/07

輝かしい歴史を刻む

横浜駅西口から徒歩7分、金刀比羅神社近くに板塀に囲まれた和づくりの割烹料亭「田中家」がある。

広重の「東海道五十三次」神奈川宿に登場する東海道の急坂沿いの腰掛茶屋さくら屋を、創業者の晝間弥兵衛が買い取り、旅籠料理屋「田中家」として開業したのが文久3年(1863年)。和洋折衷のメニューが好評で、近くのアメリカ領事館や黒船来航時に外国人の利用が多かったという。
坂本龍馬の妻、おりょうが勝海舟の紹介で仲居として働いていたこともある田中家は、西郷隆盛と高杉晋作が倒幕の計画を練った場所でもあり、伊藤博文、夏目漱石も訪れ、呉清源の囲碁対局戦も行われたという輝かしい歴史が刻まれたところで、当時の貴重な写真や文献が大切に保存されている。

当時の神奈川宿には1300軒ほどの料理屋や旅館が軒を並べ、600人もの芸者がいたが、今は一人もおらず、現存する料理屋は田中家だけとなった。


しかし、田中家もかつて1500坪あった敷地も相続で縮小、1200坪の旅館部分を処理、1000人が入れた200畳の大広間もなくなった。

今はテレビの「ブラタモリ」や新聞、ネット等で取り上げられたこともあって、レキジョ(歴史好きの女子)や県外からのお客様や、遠く外国から訪れるほどの評判の料亭だ。そこには五代目女将の平塚あけみさんの努力があった。APECが開催された折に4か国語の広告などでPR、マレーシアの大統領が訪れたという。結婚式披露宴の会場として使われることも多くなった。

児童に日本料理を体験

地域貢献活動として、地域の小学生を食事に招待して、日本料理を体験させている。「平成7年から始めました。小学生を招待し、和食を体験してもらうことで幼い時から日本料理の良さを理解してもらいたい」(五代目女将・平塚あけみさん)との趣旨だ。日本文化の次世代承継である。これまで二ツ谷、六角橋、幸ヶ谷など神奈川区の小学生を招待、中学・高校生も料理体験に招いている。

家族で田中家を支える

女将の平塚あけみさんは「自分の性格は気が強い反面、人懐こいところがある」と自己分析する。そういう平塚さんでも、「女将として初めてお客様をお迎えしたとき、優しいお客様が多いのですが、厳しいお叱りを受けることもしばしば。真摯に受け止め改善策を見出しリピーターや新しいお客様に満足していただけるお料理やサービスを提供する努力を続けております」と話す。

現在の田中家は7部屋。掘りごたつや椅子席なので正座、胡坐が苦手な人も安心だ。厨房は補助2名を含め6名。ご子息2人のうち1人が板前に加わってファミリーで田中家を支え、新しいメニュー開発や、お昼のランチを低価格で提供するなどの「企業努力」をしている。

おもてなしの心で

平塚さんが女将を継いだ平成5年、田中家は廃業を検討するほどの経営の危機にさらされていた。長年海外で暮らしていたこともあって、着物の着付けも芸事もできない状態での女将であった。女将の修行といっても、スクールがあるわけではない。「先代に教わり、三味線や着付けを覚えていった」という。そして、女将は経営者であり、最前線の営業マンでもあるとの自覚に立ち、様々な場で田中家の利用を訴え、田中家盛り返していった。

「大事なことはおもてなしの心です。また来たくなる心配り、たとえばその日にふさわしい掛け軸を掛け、お花を活け、三味線で心を込めてお迎えします」。

そして今度は平塚さんが6代目女将に、女将としてのノウハウを伝授しているところだ。

「若い発想で、時代に合った田中家として、いつまでも持続させてほしいですね」と語る。

また、平塚さんは田中家の歴史的価値のPRにも熱心だ。「田中家が少しでも大好きな横浜市のお役に立てるなら嬉しいですね」と、横浜生まれ、横浜育ちの平塚さんは微笑んだ。
田中家  
住所 横浜市神奈川区台町11-1
電話 045-311-2621
営業時間 11:30~14:00 ランチタイム 予約制(2名様から)
16:00~22:00 夜席 完全予約制